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石井隆の新作『人が人を愛することのどうしようもなさ』を見たわ。
石井隆と言えば最近では杉本彩さん主演の『花と蛇1・2』が有名
(『花と蛇1』公開イヴェントで団鬼六さんや杉本彩さんにトークショ
ウでアタシが司会を務めさせて頂いた。
http://www.h6.dion.ne.jp/~kin.net/bijyo4.html)。
また殺し屋ハードボイルド『GONINシリーズ』も人気があるわよね。
でもなんと言っても彼の「名美」三部作(もっとあるけれど代表的なもの)は
石井ワールドを語る上では絶対に外せない、、、とアタシは思うわ。
その「名美」三部作の最新作。
三部でもう終わりかと思いきや、その主題は今回もハッキリとした形で変奏されていた。
劇場で新しい新作を見ることが出来てほんとうに嬉しかったわ。。。(笑)
名美という「家庭」や「安定」というものから最も遠い位置にある運命を
背負って生きている女性と、その決して幸福とは映らない女性に全人生が
巻き込まれていく村木という男性、の物語。
三部作は『死んでもいい』『ヌードの夜』『夜がまた来る』1992から1994までの作品。
名美役は大竹しのぶ、余貴美子、夏川結衣。どれもほんとうにウェットで失速が
思いっきり加速していくような展開。
どうにもならない男女の運命とその関係は物語が進むにつれて身動きが
できなくなるような美学。(アタシ個人は『ヌードの夜』が最高傑作だと思う。)
今回の名美役は喜多嶋舞。
ヘヤヌードとかそういった次元を遥かに超越していて、喜多嶋舞が女優として
かなりのステップアップした名演は筆舌に尽くしがたい
(あれだけの役をこなせば彼女自身別の段階に行くことは必至。)。
主人公の名美は「女優」でもあり、「妻」「名美」「女」と様々な側面が交錯し、
その境界は崩壊(解放)していくわ。
どんな人間でも様々な側面を持って生きている。
その側面がそれぞれを侵犯することは、誰にあっても可能性があること。。。
「演じること」=「生きること」を描くことで、石井隆の「映画論」「恋愛論」を
見ているようでもあるわね。
たしかに今回も「愛」は描かれてはいるが、登場人物の交錯する「愛」は
自己の枠の中で孵化すが、決して羽ばたきはしない。
元アイドルの女優も過去の大衆(不特定多数が視聴していると思われている
テレビという仕組み)という極めて抽象的なものによって支えられていて、
津田寛治演じる岡野(今回の村木役)もまた現在は個人マネージャーでもあり
元はアイドル時代の名美の無名のファンでもあったのだ。
結局、誰の「愛」も全て次元の異なるねじれた愛情であり、成就することも届くこともない。
相手を「思う」ことは全て「自己完結」の内の問題であり、
「人を思うこと」とはどういう意味なのか?ということが宙づりにされ突きつけられてくるわ。
『花と蛇』では杉本彩さんばかり話題になりがちだったけれど、
今回は石井ワールドが想いっきり炸裂。
「雨」、「ネオン管」、そして「超長廻し」は顕在で、石井美学が貫かれているわ。
カメラワークは名美代表作三本を撮った佐々木原保志。見事。

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